大学生のころ、世の中は就職氷河期と呼ばれる就職難。自分のやりたいことが見つからず将来への漠然とした不安を抱えていた時、元新聞記者の先生と出会い、開発途上国の政治や文化について学び、「この目で見てみたい!」という一心で休学を決意。アルバイトでためたお金をバックパックに詰め込んでアジアの国々を旅しました。これが、ODAの業界で働くきっかけになったと思います。
20代は、ODA業界で働くために必要だと考えていた「2年の海外経験」「修士号」という壁をクリアするために、JICA協力隊と大学院受験を目指しました。大卒で何の技術もない私は、何度か不合格となり、気持ちは焦るばかり。アルバイトをしながら受験を繰り返し、大学院に入学すると同時に、JICA協力隊としてタイに行くことになりました。協力隊から帰国した後も、学業と並行して、在タイ日本大使館で働く機会を得ることができました。今、振り返ると、いつも息を切らせて走っているような、せわしない20代でした。
帰国後、開発コンサルタント会社に就職し、結婚を経て、30代を迎えました。契約・精算業務などのアシスタントとして就職した会社は、ODAプロジェクトの評価を多く受注していたので、1年後にコンサルタントとして昇格してからは、評価の知識と経験を積み上げることができました。色々な国や分野の仕事をしてきましたが、どの仕事も難しく、新鮮で、やりがいがあるものでした。いつも新しい学びと出会いがある、それがこの仕事の面白さだと思います。
この仕事を続けながら3回の産休・育休を取得しました。「子どもの存在」は働き方を変える大きなきっかけになりました。以前は時間を気にせず「やれることは今やろう」と考えていましたが、今は「明日でもいいことは明日」と割り切って夕方にはパソコンを閉じるようにしています。長期の海外出張が難しくなったので、出張期間や回数をできるだけ減らし、国内での仕事を優先させるようになりました。
海外出張中は基本的にはその業務に集中できますが、国内では複数の業務を「はしご」するのが当たり前となりました。ですので、一日の中で時間を区切って、頭を切り替え、それぞれの業務に取り組む「切り替え」がますます重要になったと思います。最近は一般財団法人 日本民間公益活動連携機構(JANPIA)の評価調査に取り組むなど、国内の非ODA案件にもチャレンジしています。